三井不動産グループの哲学

三井不動産グループは、不動産業界では三菱地所と双璧をなす巨人だ。当期売上1.5兆円、当期利益1001億円、総資産は三菱地所の方が上かと思ったが、こちらも0.1兆円多い5兆円で文句なしの日本の不動産トップ企業だ。自分の父が三井物産で勤めていた経験があったので、三井というブランドには、なみなみならぬ信頼というか、思いがあった。

今は人に貸しているが、千葉県船橋市に所有する私的な不良資産も三井のパークホームズというブランドだ。しかも私は、20代でこのブランドを気に入って、このブランドにこだわって、頭金を妹に借りてまで購入したのだ。自己資金は40万円だった。当時は20以上のモデルルームや中古マンションを見た末に、やはり三井しかないと決断した。住んでも、足音などあまり響くことなく、重厚で快適だった。三井系の管理会社も素晴らしく、チリひとつ落ちていないと表現できるほど、よく手入れされていた。

そして、ここに来てブランドが揺らいでしまった。横浜市都筑区の傾斜マンション問題だ。売り主の三井不動産レジデンシャルが、三井住友建設に発注し、杭打ちの部分は旭化成建材に発注された。買った人は三井不動産レジデンシャルから買ったわけだから、ブランドが直接的に下がるのは三井不動産レジデンシャルである。

記者会見で担当者を「ルーズな人だと思った」と旭化成建材の人が答えていたが、個人の資質のせいにしてはいけない。あくまでも仕組みの問題として捉えない限り、組織としての反省もできなければ、失敗を乗り越えることもできない。孫請けの失敗によってブランド価値を下げた発注元も同じである。リスクを予測し、そのリスクの芽を摘んでいく日々の努力が肝心なのだ。

ブランドは一瞬で崩れる。だから崩れる前に、崩れぬように、チェック体制や仕組みを作るための投資をしておくべきだと思う。しかし、この予測不能な世の中では、崩れたブランドを短期で立て直すのにお金をかける方が効率的と言う人がいる。有形資産で考えるとそうかもしれないが、ブランドは無形資産である。人の気持ちに刻み込まれた傷はそう簡単に癒えるものではないし、傷痕は残るのだ。

今回の三井不動産レジデンシャルと旭化成建材の対応の違いは、資金面での余裕が前面に出てしまっている気がする。三井不動産レジデンシャルが言っている高値買い取りや全棟建替は、旭化成建材にとって、会社の存亡に関わる問題なのかもしれないが、消費者再優先の姿勢を貫けば、組織が生き残る光明が必ず見えてくるはずだ。ここは起死回生のチャンスでもあるし、対応次第で器の大きさすら表現できる。

ちなみに、三井不動産レジデンシャルのウエブサイトにあるビジョンを見てみた。グループビジョン、グループステートメント、グループミッションなど、たくさん書かれているが、この中で安心・安全に関する記述は、唯一三井不動産レジデンシャルのビジョンの一箇所だけだった。

レジデンシャルは販売会社なので、営業を頑張るように、前向きな言葉が並ぶのはしょうがない。しかし、グループミッションに安全安心がないのは画竜点睛を欠くというか、「住」を扱う企業体にしては、あまりにも使命感の捉え方が軽くないだろうか? まずは人命・健康を脅かすものは作りません、そこからではないだろうか。

問題のマンションの住人が、これらを見たら、「儲けることしか考えてない」とならないか? ちなみに旭化成建材のウエブにはビジョンも、ミッションも何も表されていない。今回のような問題が起きたとき、社員は何を判断基準に行動すればよいのだろう?

ここで教訓。企業経営には自社が関わるすべての領域での安全基準が必要だ。リスクを洗い出した後に、「してはいけないこと」を決めるだけだ。これだけで、全然違う。

調べたら、1975年に創刊し、三井不動産ブランドの代名詞でもあった会報誌「こんにちは」が昨年終了していた。あの、やさしい雑誌づくりにこそ、三井不動産のサービス哲学があふれていたのに。

ブランディング・ファシリテーター佐藤浩志

フォルクスワーゲンが失墜させたもの

ご存知の方も多いと思うが、フォルクスワーゲン(VW)の生みの親はナチス総統のヒトラーだ。技術者はフェルディナント・ポルシェ。文字通り国民車であり、第二次大戦敗戦後のドイツの悔恨と反省、復興におけるプライドの象徴という役割を、この企業は背負わされてきた。今回のディーゼルデータ改ざんの違法ソフト問題は、行き過ぎた利益主義も理由だろうが、国家的企業としてのプライドも、不正の後押しをしていたように思えてしまう。他国のEVやハイブリットに対抗するには、クリーンディーゼルというポジションを極めていくしかなかったのではないか。これは、まさにブランド成熟企業のジレンマとも言える。

現に私自身、相当気に入ってVWの製品に乗っている。ただし、燃費は公式発表より、明らかに落ちるという印象はある。前に乗っていたドイツ車からプリウスαへの買い替えを考えていた2年前、高速道路のパーキングでふと気づくと、周りのほとんどがトヨタプリウスとアクア、という場面に出くわし、画一感に寒気がした。そこでエコに対するまったく異なるアプローチを行っていて、ハイブリッドとは異なった、「エンジンのダウンサイジング」というポジションで好評価だったVWの製品を買ったのだ。

日本には問題のソフトが搭載された車種は並行輸入品で数えるほどしか流通していないとのことだが、当のVWの消費者の一人としては、「裏切られた」という感覚は今のところない。日本の他のVWのユーザーも皆、同様の気持ちなのではないだろうか? ただ、「悪意を持って、やらかしちゃったなあ」とは思う。すぐには乗り換えようとは思わない。しかし、なぜこんなにも他人ごとなのかの理由もはっきりしている。実害がないからだ。

2002年に2件の死亡事故を招いた三菱自動車のリコール隠し問題では、犠牲者が出たことで、一気にブランドの信用力を失った。自分の所有物が人を殺してしまうかもしれない、という恐怖は実害以外の何物でもない。正直10年以上を経過した現在でもブランドの信頼度が回復したとは言い切れない。当時、三菱の自動車に乗っていた友人は、すぐに買い替えを考えていたし、逆に新車がとんでもない値引きになっていた記憶もある。ブランドの価値が下がったということである。

こう考えると、ブランドはつくづく人の心の中の問題だということに気付かされる。人命を脅かすブランド、ウソをつくブランドは必ず嫌悪される。欧米でのVWは、まさに今、この火中にある。日本で「そのクルマに乗ってるの? やばくない?」となれば、晴れて嫌悪ブランドへの仲間入りをしたことになる。私はユーザーなので、それを実感できるはずだ。

そしてVWは、工業国として日本人が唯一リスペクトしているドイツという国に対する信頼まで失墜させた。マクロで見ると、その罪が一番重いのかもしれない。きっと、ドイツ企業の不祥事が目につくようになり「ドイツどうした?」という論調が展開される。直近の情報では、日本のVWの売上は前年同月比3割減と落ち込みはじめている。きっとネット上でもたくさん叩かれるだろうし、VWのユーザーということだけで、ネット上では非難の対象となるだろう。

そこで、教訓である。ブランディングを行うときは、その商品やサービス、企業が引き起こす可能性のあるリスクを把握し、最悪の事態が起きた場合の対処法を考え、そして社員が内にも、外にも、ウソをつかない、ウソをつけない環境を作らなければならない。

昨今話題の東洋ゴム工業、三井不動産レジデンス、旭化成建材が、どうブランドをリカバリーするのか興味深い。

戦略と戦術

よおーくかんがえよ~。戦略は大事だよ~。

 

10年ほど前でしょうか、マーケティングで世界的に有名な企業の元バイスプレジデントと、長い間定期的にブランディングやマーケティングについてのお話を伺う機会がありました。その人は戦略とは端的に「寝首を掻っ切ること」とおっしゃっていました。意表をつくものでないといけないという意味だと解釈しました。また、その人がコンサルタントとして外資系だが中身は超ドメスティックな企業を担当されたとき、営業担当の部長から「戦略では食えんからなあ」と皮肉られ、短期間で離れたそうです。その企業はその後一時、倒産寸前まで業績が下がりました。

 

多くの企業で「戦略」という言葉に対する拒絶感、拒否感があるように思えてなりません。巷のコンサルタントに、いいように戦略だけ作られて大金を奪取され、ふたをあけたら「あとの細かいことは社内でがんばってください」と突き放され、もう少しやってくださいとお願いすると、あとはこれだけかかりますと,さらにお金をむしり取られる。そんな構図が見え隠れします。

 

これは、コンサルタントに丸投げ、任せっきりにしてしまう日本企業の姿勢もありますが、あまりにも日本のビジネスに戦略と戦術の考え方が浸透していないことが原因とも思われます。戦略・戦術には目的が必須です。もちろんほとんどの企業の目的は永続的に業績を上げること以外ありえません。その目的に到達するための方針が戦略、具体的施策が戦術ということになります。

 

戦略戦術は企業経営においても必須ですが、ブランディング、マーケティング活動においても必須の要件となります。特に戦略なくしては、すべての活動の一貫性は担保できません。戦術は具体的な施策ですから戦略がなくとも成立しますが、消費者から「やっていることがバラバラで意味不明」という評価があった場合は、戦略の欠如、もしくは戦略の理解不足が原因と思われます。また戦略・戦術を明文化することは、やっていることの一貫性を確認できるメリットと、失敗を検証するときに有効な材料になるというメリットがあります。戦略・戦術をきっちり策定したからといって、ビジネスすべてがうまくいくわけではありません。だから失敗したら検証する必要があります。こう表現すると「だったら戦術だけ考えればいいじゃん」という人も出るかもしれませんが、「戦術だけ考える=単発で販促や広告の施策を考える」と理解すると、ビジネスの一貫性や継続性の部分でブレが生じてきます。

 

ビジネスは利益を出すのか損をするのかトントンなのか、究極的にはその3点の中でもがき苦しむ行為だと思います。私も戦略戦術をつくっても、確率的にはどっちかなんだから、そんな面倒くさいこと必要ないのではないかと思うこともありました。しかし、戦略戦術を策定させてビジネスを進めないと、丁半博打をしているのとなんら変わらない感覚になってしまうように思えてなりません。成功の確率と負けの確率が50:50なら51と49でいいから、1%でも成功の確率をあげるための努力をするという行為の現れが戦略・戦術に基づいたビジネスをすることではないかと思っています。